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船舶流体力学の世界に魅せられて 第12回:波から受ける抵抗増加

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船舶流体力学の世界に魅せられて

12. 波から受ける抵抗増加

 船は波の中を航行するとスピードが落ちます。これは、波が船体にあたることによって抵抗が増加するためで、この抵抗増加のことを「波浪中抵抗増加」といいます。船は、このスピード低下を補うためにエンジン馬力に余裕をもたせて設計するのが一般的で、それをシーマージンといいます。15%程度のシーマージンをとるのが一般的ですが、スケジュールを守ることが重要なフェリーやコンテナ船などの船種では、就航海域の海象に合わせてさらに大きなシーマージンをとることもあります。

 かつては、建造された船はできるだけ波のない静かな海で試運転を行って、契約上の速力がでればよかったのですが、今では波や風のある実際の海面を走る時の船の能力が重要視されるようになり、これを「実海域性能」と呼んでいます。

 この実海域性能に最も大きな影響を与えるのが、波浪中抵抗増加であり、その推定法が古くから研究開発されてきました。この波浪中抵抗増加は、完全流体の流体力学理論を使って、ある程度の精度で計算することができ、模型実験や実船での実績とほぼ合うことが分かっています。すなわち、このことは、波浪中抵抗増加には、粘性を考慮しなくても理論計算ができる「波をつくることによる抵抗」の成分が大きいことを示しています。

 この波浪中抵抗増加は、前方から波を受けて航行するときに最も大きくなります。ただし、その性格は、「波の山から山の水平距離」すなわち波長と、「船の長さ」すなわち船長との比によって大きく変わります。波長が船の長さと同じ程度となると、縦揺れや上下揺れなどの船体運動が大きくなり、その運動によってつくられる波による抵抗増加が支配的となります。

 一方、波長が船長よりもかなり短くなると、船体運動はほとんどしなくなり、船首部に当たった波が反射することによる抵抗増加が大きくなります。これを反射波成分と呼びます。これも線形の範囲内では完全流体理論での計算が可能です。



図 正面前方から波を受けながら航行する船舶に働く抵抗増加の成分の模式図です。
波の長さと船の長さの比が1くらいになると船体運動に基づく成分が大きくなり、
0.5より小さいと波反射、砕波、スプレーによる成分が支配的になります。



波長が船長に近い場合に、正面から波を受けながら航行するチップ船の模型実験です。
大きな船体運動をしていることがわかり、この船体運動で波を発生させることが抵抗増加を生み出しています。



波長が船長より短い場合には、船体運動はほとんどせずに、船首に波が当たるたびに、
波を反射するとともに、波崩れを起こしたり、スプレーが上がったりします。これらが抵抗増加を生み出しています。


 このように波浪中抵抗増加は、ほとんど線形の波の理論で説明できると考えられていましたが、実は非線形性や粘性も大きな役割を演じていることが次第に分かってきました。

 たとえば、波が高くなると、船首にぶつかった波が砕けてしますが、こうなると線形の完全流体の波の理論では扱えません。

 また船首に波が当たった時に発生する白い飛沫(しぶき)は、線形の完全流体力学では扱うことができません。この飛沫はスプレーと呼ばれており、水面下の船首部分にできる澱み点(スタグネーション)に働く高いスタグネーション圧力によって、水面上の船首部表面にそって上がる膜状の水が、摩擦力によってエネルギーを失ってある高さで粒状の水滴になるもので、その飛沫は水面に落下して粘性でエネルギーを失います。船首の澱み点が水面下の十分深いところにあれば、スプレーは生じずに反射波だけが生じますが、浅いところにあるとスプレーが生じます。船首の水面付近の形状が鋭いと、この澱み点は深いところにありますが、鈍頭な形状だと澱み点が浅いところに生じて、水面上にスプレーが生じます。波を船首から受けると、水面付近の水流が加速されて船首部の水面に近いところに澱み点ができ、高いスタグネーション圧力が発生し、これが抵抗を増加させます。

 この波がぶつかって発生する高い圧力は、CFDによって容易に計算ができることがわかってきました。そのスタグネーション圧力の分布形状や大きさは、船首の形状および入射波の高さと波長によって異なりますが、その違いがCFDによってわかり、スタグネーション部分での流れを加速するように船首形状を変えたり、小さな付加物を付けたりすると、波浪中抵抗増加を大幅に減少させることもできることが明らかになりました。

 スプレーの発生を抑えるだけでなく、発生したスプレーの方向を船首に取り付けた付加物で変えることで抵抗増加を抑えるアイディアも実用化されています。

 最適な船首形状を設計する時には、発生するスプレーの形や、その中の水の挙動を知ることが大事になりますが、これまでは実験に頼るしかありませんでした。しかし、近い将来、こうしたスプレーの把握にもCFDが使われるようになることでしょう。



図 CFDで計算した肥大船の船首に働く静圧の分布で、青色の破線の丸で囲んだ部分では、
高いスタタグネーション圧力が働いています。波の山が船首に当たった瞬間の結果で、
静止水面より上方にも高い圧力が働いていることがわかり、これが波浪中抵抗増加を生みます。
この部分の流れをよくすると抵抗増加を減らすことができます。CFDが簡単に利用できる一例です。





著者プロフィール
池田 良穂 | 1950年 北海道生まれ
1978年 大阪府立大学大学院博士後期課程単位修得退学
1979年 工学博士の学位取得

大阪府立大学工学部船舶工学科助手、講師、助教授を経て、1995年に同学大学院工学研究科海洋システム工学分野教授。リエゾンオフィス長、工学研究科長・工学部長などを歴任し、2015年定年退職。名誉教授の称号が授与されると共に、21世紀科学研究機構の特認教授として研究活動に従事。今治造船寄付講座、最先端船舶技術研究所、観光産業戦略研究所を担当。2018年に大阪府立大学を離れ、大阪経済法科大学で文系の学生向けに、海運、水産、クルーズ、エネルギーに関する授業を担当すると共に、日本クルーズ&フェリー学会の事務局長として活躍している。

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